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こんにちは!先輩

こんにちは!先輩

山縣三紀先生
(医)南風会 山縣医院

「さて 何からはじめましょうか」

まずは自己紹介
 昭和33年生まれ戌年。広島ノートルダム清心高校から川崎医科大学に進学、昭和59年に卒業。平成4年に防府で医院を継承しましたので、まもなく25周年を迎えます。29歳の長男と27歳の長女は整形外科医となり、ふたりとも山口県内の病院に勤務しています。長女はまさに女性医師の「二大壁」の一つ目である「結婚・妊娠・出産」の壁の前に立っており、何とかよじ登ろうとしています。(ちなみに二つ目の「壁」は「介護」の壁ですね)次男は音大4年でピアノを専攻しています。経歴を見ておわかりのように、医学部卒後10年もたたずに地域医療の世界に飛び込んだ・・・というか放り投げられました。 

むかしのお医者さん
 十分な卒後研修も受けず30歳そこそこの見切り発進開業ですが、実は私たち(夫も同窓です)の友人、先輩・後輩の中ではそれほどめずらしいケースではなかったように思います。学生たちは、いわゆる地域医療をになう医師の子どもが多く、ほとんどの学生は卒後郷里に帰り、なかには、主を失った診療所に卒後まもなくもどり、患者さんを診ながら並行して大学や基幹病院等で学んでいる者もいました。(どうも父母の世代である昭和ひとけた生まれの医師の平均寿命は短い印象があります。当時のレントゲン機器等の影響もあったのでしょうか?)

 現在、私は防府医師会で地域医療を担当し、地域包括ケアの構築を行政や市民の方々と進めているところです。医師会の主な役割のひとつは在宅医療を進めることと考えます。しかし私が幼かったころ、地域の医者が往診(いまで言う訪問診療も含みます)に行くのは日常診療の中での通常業務でした。午前中は外来、昼食後は往診、もどって4時ころから再度外来、て具合です。患者さんと医者との関係も今より近かったように思います。(小学生のある年のお正月、近所の障害をもつ患者さんのところにおすそわけのおせち料理を届けるよう言われ、暗い家の玄関先に置いて飛んで帰った記憶がよみがえります)

ところが今の医療現場は医学・医療の進歩とともに医師の診療科は臓器別専門科にわかれ、また患者さんのライフスタイルも多様化し、聴診器一本持って患家をおとずれ患者さんの多くの期待に応えていくのは厳しい状況です。

仕事を継続すること
 そんな環境で開業医の義父が卒業の年に急逝し、夫からできるだけ早く郷里にもどって診療所を再開する意思を聞いても、特に反対理由は見つかりませんでした。(感情は別ですけど・・)

28歳で長男を授かりましたが、公的制度を調べることもなく医局を離れたのは、山口大学が出身大学ではないと同時に、友人知人もいない他県出身者で、ただ周囲に迷惑をかけてはいけない、との思いはありました。そのかわり何とか医師免許を無駄にしないよう、妊娠~出産まで母校の病理学教室で研修生として神経病理を学ばせていただき、さらに長女の時はまたまた母校のリハビリテーション科でリハ外来や義肢・装具の処方を学ばせてもらいました。本当に母校は甘えられる存在でたいへん感謝しています。そして次男出産の時はすでに開業していましたので、母・長男長女・病院スタッフ(それと患者さん)が強力な助っ人となりました。

1:母 2:妻 3:仕事人 さて優先順位は?
 どれも人生の一大事です。忙しさを理由に将来大きな後悔をしないよう優先順位をつけることにしました。とりあえず子どもたちが12歳になるまでは、子ども達の人生の畑の土作り。手抜きなしで向き合うことを決めました。12歳を過ぎればきっと社会が育ててくれるでしょう。2番目の妻・・・三つ指ついて夫の出迎え、毎晩ご馳走・・・いやいや、その「妻」ではありません! スタッフ20名以上の職場で、院長ひとりでは給与をはじめとする労務一般、銀行~業者との対応等は困難です。そして地域医療を続けていく上で同じ医師としての助言。「妻」は言い換えれば「女房」役でしょうか。ハイ!そしてようやく3番目に医師。たくさんの患者さんは診られませんが、そのかわりいつもていねいな診療をこころがけています。

男だってムリ?
 時折、我が家で医師たちとの簡単ホームパーティをすることがあります。そんな時に長女も医師であるためか女性医師の話題になることがあります。ある時、男性医師の方から「結婚をして子どもを産んで、家事と子育てをして、仕事もバリバリ・・・そんなの男だってムリ」なんて話が出たこともあります。男女共同参画に反する?どう思われますか?私はその時、妙に納得していました。男性だって事情が許されればもっと家庭にいる時間を持ちたい、子育てにだってもっと関わりたい、そして同時に医療技術も常に高めていきたい。そう思っている人は意外に多くいるのではないでしょうか。

 脳科学者の池谷裕二さんのエッセイに「トレードオフ」という言葉をみつけました。何かを得ると何かを失う。進化の過程では普遍的にみられる原則だそうです。「失うこと」があって「たくさんの大切な新しい何かを得る」ことができ、さらに前に進めるのだと解釈しつつ、今日も仕事の合間に晩メシのメニューを考えています。代わり映えのしないメニューですが・・・

プロフィール

現職
(医)南風会 山縣医院
出身地
広島市
出身大学
川崎医科大学
卒業年
1984年