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こんにちは!先輩

こんにちは!先輩

吉村佳子先生
小郡第一総合病院 眼科

「これまでの自分を振り返ってみて」

 私は平成5年に山口大学を卒業し、卒業後すぐ山口大学医学部眼科学教室に入局しました。眼科を志望したのは、眼科という分野に興味があったことはもちろんですが、子供から大人まで幅広い世代の患者さんの診察ができること、眼科医に女性医師が多く生涯、医師として働きやすいのではないかと考えたからです。

 入局後、外科医となった同級生と結婚し、卒後3年目に子供を出産しました。仕事には産後8週の産休のみで大学病院に復帰しました。復帰後は、まだ時短勤務も一般的でなく当直もあったため、実際の子供の世話は全面的に義母に頼りきりでした。そのころ義両親は山口市に住んでいたため、子供は山口市の義両親に預け、私が週末に会いにいくという生活でした。さすがにずっとこのままではいけないと思い、1年後に義両親に宇部に引っ越してきてもらい同居し、やっと子供と一緒に暮らすことになりました。

 そのころ仕事では、大学病院で外来診察や手術を行うようになりました。また、眼の炎症疾患であるぶどう膜炎の勉強のため1年間、週に1回、久留米大学病院に研修に行っていました。子供は保育園に預けていましたが、お迎えの時間には間に合わず、すべて義母にお願いしていました。この時期にしっかり仕事に向き合えたことが、その後、眼科医の仕事を続けていくうえの基礎となったと思います。子供が小さいながらも仕事ができたのは、義母のおかげでとても感謝していますし、そういう面では私は恵まれていたと思います。

 7年目に第2子を出産し、産休後に復帰して山口労災病院眼科に赴任しました。1人常勤だったため大学病院にいたときのようにすぐ先輩の先生に頼るわけにはいかず不安な面もありましたが、そのぶん鍛えられたと思います。

 10年目のとき、夫がアメリカに留学することになりました。英語が大の苦手、飛行機も苦手、海外に行くなんてとんでもないという私は、アメリカについていくかどうか迷っていたのですが、当時の西田輝夫眼科学教授から留学には家族一緒に行くべきだ、最初のセットアップは特に苦労するから後から行くのではなく、最初から一緒に行って家族で苦労を共にしたほうが良いといわれ、単純にそんなものかと考え同行することにしました。今まで子育てを義母に任せっきりだったので、2年ほど休職してじっくり子供に向き合うのもいい機会だと思い、アメリカに旅立ったのですが・・・。

 2年の予定が、気づいたら渡米して5年たっていました。渡米前にとった専門医の休止期間の期限もまもなく終了となり、何の根拠もなく日本人なら日本語の読み書きはできると思っていた私たち親が悪いのですが、上の子は日本ではもうすぐ中学生になるというのにひらがなしか読み書きができない状態になっていました。今、日本に帰国しないと専門医の更新ができなくなり、子供は子供で日本の学校についていけなくなるのではないかと急に心配になりました。そのころ夫はアメリカで職を得ていたので、今後、家族でこのままアメリカで生活するかどうか家族で悩んだうえ、とりあえず夫をアメリカに残して子供2人と私で日本に帰国することにしました。

 帰国後は経済的なこともあり、すぐ復職を希望し、西田教授に相談しました。子供が学校生活や勉強に慣れるのにサポートがいることを考え、手術は行わず外来勤務のみで当直もなしという条件でお願いしました。無茶な条件にも関わらず、現在、勤務している小郡第一総合病院を紹介していただいて、働くことになりました。当病院の眼科は3名の医師がおり、部長の榎美穂先生はお子さんもおられますが、眼科医としてずっと第一線で活躍されている素敵な先生です。榎先生には、5年間のブランクがあった私にいろいろと教えていただいて本当にとてもお世話になりました。やはり最初は仕事に復帰するのは不安で緊張しました。実際、今までなかった全く新しい検査機器がスタンダードになっていたり、新しい薬や治療法がつくられていたり、最初はとまどうことも多々ありました。しかし、心配していたよりすんなりと仕事になじめたように思います。夫ですが、私と子供が帰国後、一人でのアメリカ生活は厳しかったようで、2年後に日本に帰国し、外科医に復帰しました。

 その後、現在に至ると言いたいところですが、夫は3年前から外科医から癌の免疫療法の開発の仕事をするようになり、今は東京に住んでいます。子供2人も進学でそれぞれ県外の別々の場所におり、私は義両親と山口で同居、と家族4人それぞれ別れて暮らしています。家族全員が揃う機会はなかなかありませんが、今の世の中便利になったもので、家族のグループラインを使って連絡を取り合っています。私は週末に月1-2回、東京に通う生活をしています。

 こうして考えてみますと、夫と子供に振り回され、自分のキャリアは二の次だったような気もします。ただ私は夫のように研究をするよりも、診療を行う方が好きですし、夫は新しい治療の開発という方面から医学に貢献できるのであれば、できるだけサポートして応援したいと思っています。そんな中で、私が仕事を続けられたのは、家族や職場の先生方のおかげだと思って大変感謝しています。今の学生さんたちは、私の学生時代に比べると、とても真剣に将来のことを考えられていると思います。私の場合はあまりに行き当たりばったりでたいしたキャリアもなく後輩の先生方に一言いえる立場ではありませんが、そのときに一番自分がしたいこと、いい道だと思うことを選んでほしいと思います。どんなに計画をたてても人生、何があるかわかりませんし、思いもかけないようなことも起こってきます。そのときどきで自分がどのような医師になりたいのか、それを実現するにはどうすればいいかを考えて進んでいってほしいと思います。

プロフィール

現職
小郡第一総合病院 眼科
出身地
広島県
出身大学
山口大学
卒業年
1993年