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こんにちは!先輩

こんにちは!先輩

奥田弘美先生
精神科医(精神保健指定医)、産業医、作家、
日本マインドフルネス普及協会代表理事

「ちょっと変わり種の女医人生のご紹介」

 こんにちは!山大の後輩の皆様。

 私はちょっと、いやかなり変わり種の女医です。

 現在東京に在住し、精神科クリニックの非常勤医と16か所の企業の嘱託産業医を行いながら、作家として執筆活動もしています。今までに一般書を20冊以上出版しました。

 山口大学を卒業して6年間ほどは奈良県立医科大学の医局に所属していましたが、その後は医局には属さず、働き口は全て医師のリクルート業者や個人的人脈を活用して自力でみつけながら現在まで働いてきました。

 と、まあこんな状況ですので皆様の立派なロールモデルにはならないかもしれませんが、こんな自由な生き方もできるんだということを知っていただければ良いなと思いつつ、私の卒後の人生をざっとご紹介したいと思います。

 私は山口大学を平成4年に卒業したあと、故郷の奈良県に戻って奈良県立医科大学の神経内科に入局し研修医を終えたのちは系列の市中病院で常勤医として5年ほど働きながら専門医をとりました。と、ここまではごくごく普通の臨床医の経歴だと思います。

 医局をあっさり辞めてしまいました。そしてその後はホスピス医を志して自力で神戸のホスピスの非常勤医の口を見つけ奈良から片道2時間かけてハードな通勤をしていましたが、長男が生まれたため通勤不能となり断念。以後1年ほどは奈良県内の老人保健施設のバイトを週2日ほどしながら子育てに専念していました。

 そのときは夫が内科医として常勤で働いていたためお金の心配もなく、のんびりしたものでした。「私はこのまま子育てをメインにしながら医者はバイト程度でいいかも」と思っていたのですが、子育て中心の毎日だけでは生きがいが十分に感じられなかったため、その当時、ビジネス領域で注目されていたコーチングを勉強しはじめました。

 それが私にとって大きな一つの転機となりました。

 そのコーチングのカリキュラムの中にあった自己実現法をやってみたところ、「私は実は作家になりたかったんだ」という幼いころに持っていた抑圧した願望に気づいてしまったのです。もともと文系の勉強が好きな読書少女だったのに理系へ行ってしまったため、すっかり作家の道はあきらめてしまっていたのですよね。

 で、まずは原稿を書き、いろいろなツテを頼って某出版社の編集者にとりついでもらい、ビギナーズラックも手伝って第1冊目の出版が叶いました。その後は紆余曲折ありながらも現在まで20冊を超える本を出版し、うち3冊ほどは小さなベスとセラーにもなりました。

 肝心の医者業の方ですが、出産後にバイトをしていた老健施設の母体の精神科病院で知り合った老女医さんに「子育てと両立するには精神科医が良いよ。精神科医になりなさいよ」と誘っていただいたのをきっかけに精神科に転科しました。もともと精神科は学生時代に興味があった科でもありましたし、比較的大きな精神科病院だったので研修指導も一応していただけたのが幸いでした。子育てを実家の母に助けてもらいながら、常勤医として研修しつつ勤務していたところ、長男が3歳のときに、夫が行政(霞が関)の仕事がしたいと言い出したために、一家をあげて東京へ移住することに。

 東京に出てからは、実家の助けも一切借りられず、長男を保育園に預けながら必死で子育てと仕事を頑張らなければいけなくなりました。夫が行政官になったために年収が半減してしまい経済的な面でも私の収入が必要になったのです。まずは多摩市内の大きな精神科病院に知人の教授の紹介で常勤医として入ったのですが、なんと次男を1年以内に身ごもってしまいまして病院長の不快をかってしまいます。産前6週産後8週の最低限の休みしか取らずに頑張って働いていたのにも関わらず「当直ができないから」と2年後にリストラされてしまいました。今ではマタハラという言葉もありますが、その当時はこういった解雇も当たり前に行われていたんですね。

 で、その後は二人の小さな子供を保育園に預けながら、子育てと両立できる精神科クリニックや病院の非常勤医を転々としながら医者業を続けました。個人クリニックで非常勤医していたときには、院長に理不尽な妄想を抱かれて急にクビにされたりしましたが、運よく助けてくれる人がいたり、良い転職エージェントと知り合ったりで、途切れることなく仕事先は見つかりました。

 東京に来てからは、本当に人のご縁に助けられることが多く、人脈の大切さを実感しています。運の良さもあったと思いますが、コーチングを勉強してコミュニケーション能力が上がっていたことも大きな力になったと思います。

 数年前からビジネスパーソンのメンタルヘルスに興味が強くなり、産業医の資格をとって産業医活動も始めたところ私に向いていたようで、今はプロフェッショナルな産業医として都内16か所の企業と契約しています。地方では「名ばかり産業医」がまだまだ存在しているようですが、東京では「きちんと社員のメンタルヘルスを診てくれて、労基法に則った適切な采配ができる産業医」が求められますので、非常にやりがいがあります。

 とまあ、こんなふうに医者業のほうは行き当たりばったりでこれといったキャリア形成もできておらず、お恥ずかしい限りなのですが、医師免許を持っているためにこのような多様で臨機応変な仕事の仕方も可能なのだと思います。

 また医者業をブランクなく続けていたこと、そして専門医や指定医など取れる資格はその都度きっちり取得してきたことも、次々と就職先が見つけられたポイントかなと思います。ぜひ女医の皆様は出産後も細~くでも良いので仕事を続けたほうが良いですよ。そしてゆっくりでもよいので、専門医などの資格はコツコツと取得していってください。

 おかげさまで子供たちも元気に順調に育ってくれていて少しずつ手も離れてきましたので、これからは産業医と執筆業のほか、ここ数年ずっとはまっているマインドフルネス瞑想の普及活動をライフワークとして楽しんでいく予定です。

プロフィール

現職
精神科医(精神保健指定医)、産業医、作家、
日本マインドフルネス普及協会代表理事
出身地
奈良県
出身大学
山口大学
卒業年
1992年