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こんにちは!先輩

こんにちは!先輩

位田忍先生
大阪府立母子保健総合医療センター副院長

「後輩の皆さまへ」

皆さま あけましておめでとうございます。混沌とした世の中でありますが、どうか2017年が皆様にとって有意義な年になりますように。

 私は 位田忍(いだしのぶ)旧姓 金矢忍と申します。初めてお会いする方がほとんどと思います。今回、母の主治医である田村博子先生のご縁で寄稿させていただくことになりました。お見知りおきいただければ幸いです。生まれは下関ですが1歳前から山口市で育ちました。野田幼稚園、山大付属小学校、付属中学校、山口高校と通い山口高校77期生で、医学部は阪大で1977年卒です。小児科専門医、医学博士で、現職は大阪府のこども病院である大阪府立母子保健総合医療センターの副院長です。18歳以降関西に住んでおりますが、一人暮らしの母の顔を見に山口には2月に1回は帰ってきております。幼馴染の何人かが医者になり山口で活躍しています。田原卓浩先生、野村幸治先生、大城(木村)三枝子先生、尼崎先生、徳山中央病院の内田正志先生、藤田先生、、、山口市は日本で一番人口の少ない県庁所在地でありますが、誇り高くそして優しい気質を備えた街で、ここで育ったこと、そして今年老いた母を見守っていただいていることに、いつも感謝しています。

 少しだけ私のキャリアを紹介します。大阪大学を選んだのは母方の祖母が西宮で一人暮らしをしていたのでそこから通える大学だったからで、結局ご縁があり、以後おばあちゃん孝行ができました。医師になりたいと思ったのは小学校5年生のころで、主治医の故田原暁先生(田原卓浩先生のお父様)の影響が大きく、そして小児科医になることも初めから目指していたことです。大学時代から子供を大きくする(育てる)ことに興味を持ち小児科の栄養消化器内分泌の研究室に入りました。今から思えば良い時代だったので、教授に談判して27歳でNYに修行に出してもらい、その成果が日本で唯一の小児用のアミノ酸輸液の組成を決めるのに役に立つことになりました。33歳で結婚。知人の紹介でいわゆるお見合い結婚でした。相手は大学の先生で国際法専門でした。このことで視野がぐっと広がりました。結婚してすぐに主人の仕事の関係でパリに行くことになり、この時も教授が勉強研究を条件に、同行を許可してくださいました。研究室でネズミ相手に実験しながらの2年間のパリ生活のなかで息子を授かり、また、家族の基盤が培われました。息子が4月で帰国することになりましたが、帰国後私は大学病院の病棟ライターとしてフル活動を再開、以後は現在まで忙しく飛び回っています。当時はまだ、フルに働く女性は少なく、働きながら子育てするのは個人の問題でした。保育所整備などといった制度が議論される少し前です。子育てしながら働くためにベビーシッターさんを含めてどのような助けを求めるかは個人の裁量に任されていました。いろいろな方々の力を借り、何とか子育てを乗り切りました。パリでの出産で誰も援助がない中、主人は出生に立ち合い、主人が息子に対してengrowthment(のめりこむ)感情をいだき、「父親の誕生」をともなったことで、自然な感情の中で親子関係が築かれていき、子育てのスタートを夫と2人で行えたことは幸いでした。周産期の心理学者によると父親は誕生させなければこの世に生まれないそうです。夫に育児に参加してもらうように女性から仕向けなければならないそうです。まだ間に合う方、考えてみてください。子育ては楽しいものですよね。女性が独り占めしてはいけません。

 こんな私からのこれからキャリアを築いていかれる若い方々へのメッセージは以下の4つです。
1つ目は応援してくれる人を大切にすることです。これは私祖母からもらった言葉です。自分がやりたいことを定めたら、門は自分で叩くけど、一人では決して成し遂げられない、自分のために動いてくれる人を大切にし一緒に頑張ってもらうように。
2つ目はたとえば50歳までは家族のためにペースを落として働き、専門医を取るなど最低限の仕事をし、子育てが一段落したら50歳過ぎてから自分の思うようにキャリアを発揮する。これは内科の先生からもらった言葉です。平均余命は86歳ですよね。50歳からでも十分やりたいことができます。
3つ目は仕事(自分の天命)と家族のことを天秤にかけられるかどうかを常に自問すること。これは私の姉からもらった言葉です。家族のことは仕事とは天秤にかけられない、子育ては待ったなしと思います。天秤にかけられるならその仕事は自分にとってかなり大事なことになります。しかし家族としての基盤つくりは大事で、少し時間が必要です。夫との信頼関係、世代を超えた親世代との家族関係の基礎作り、子育てを通じて自身が親になること、どれも大切です。今から振り返れば私にとってパリ生活2年間があればこそ今があると思われます。
4つ目は物を言うには地位も必要であること。私は10年前に主任部長1年前に総括診療局長、半年前から副院長になりました。今は自分の専門分野の診療から少し離れて病院全体を見る立場になりました。多くの女性は権力欲が男性より少なく、高い地位を望まないと思われます。私も望んで今の地位を得たわけではなくたまたまなのですが、しかし、地位についてみると、院内の事務方や対外的な扱われ方が全く違うのです。ようやく男女関係なく平等に扱われていることに気づきました。何といっても病院・医学部は男性社会です。だからこそ両方の性の考え方があって良い方向に舵が切れると考えます。高い地位は目指してください。

 女医さんたちには、女性のたおやかさ、持久力を発揮して、やれないときは我慢をしてやれるときには前に出て、長―く仕事を続けながら、できるだけ多くのことに首を突っ込みつつ、豊かな人生を歩んでいってほしいです。その潜在能力は一人一人に備わっています。

プロフィール

現職
大阪府立母子保健総合医療センター副院長
出身地
山口県山口市
出身大学
大阪大学
卒業年
1977年