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こんにちは!先輩

こんにちは!先輩

井之川廣江先生
医)井之川眼科医院 理事長・院長

「道は開ける」

<学生結婚>
 私は昭和45年、山口大学を卒業しました。当時、国試ボイコット、医局制度の打破等、医学教育変革の動きに日本中が揺れていました。

 結婚は5年生に進級する春で相手は同級生でした。この頃、先輩の間でも学生結婚が1~2組とあり経済的な問題はありますが、これが解決出来れば一生働く人生の中で時間に余裕があるのは学生時代と思えました。

 出産はどうしても産前・産後の休みが必要ですので、一番周囲の人に迷惑をかけないで済む卒業試験、国家試験の後の休みの間にと計算しましたが、これは計画通りにはいかず半年遅れました。育休など頭をかすめることもありませんでした。

 当時、山口大学では皮フ科の麻上先生が教授に就任され、年1回の女子医学生と先輩女性医師の会では背中を押される有意義な希望の持てる話ばかりでした。印象に残っているのは掃除も洗濯も食事もたいした問題ではないが、育児だけは信頼のおける助けてくれる人を見つけておかないと仕事は続きませんというものでした。そして自分の子孫を残すことは可能ならば最優先とすべきであろうと付け加えられました。

 私の場合、医師になりたいと思ったのは他者に依存することなく実力をつけて自立したいという気持ちからでした。職業は何でも良かったのですが、経済力が伴い、人に尊敬され人のためになる仕事となれば、父、姉、兄が医師の環境では他の道は考えられませんでした。とりわけ10歳以上離れた産婦人科医の姉は私のロールモデルでした。しかし子供を育てながら再々真夜中でも病院にかけつける姿を見ると、専攻科目の選択には冷静にならざるを得ませんでした。

<山大眼科学教室>
 入局した眼科の小林俊策教授は男女の差なく仕事によって認めて下さる方で幸運でした。産休に入る時にはある女性科学者は産休の間に素晴らしい論文を3つ書いたよとか、今からは毛様体を研究するのが面白いのではと文献をいくつか示して下さいました。また臨床は日々の勉強の積み重ね、症例をひとつずつ大切に学んで一生かけてやれば良いのだから一緒に研究を楽しみながらしなくては面白くないよと、研究のチャンスを与えて下さいました。日本ザルを使ってのマイコプラズマ感染の実験等、大学でないと出来ないもので後の眼科医としての考え方の基礎になっていると思われます。

 私は8年間の医局時代に二人の子をもうけましたが、山口県と言うか宇部市は市の大きさ、大学の役割等を考えると女性が勉強しやすい環境が整っていたように思います。家事を手伝って下さる人、育児を助けてくれる人もすぐ見つかる時代でした。交通手段の自動車も研究室のすぐ近くに止めれますし、生活圏の日常の移動も15分以内だったように思います。今でこそ女性医師のために支援が色々考えられる時代ですが、当時は個人での解決しかありませんでした。両親は他県、頼れるのは他人ばかりの中で人を信用することを学び、子育てと仕事の両立は体力勝負でした。

<転帰>
 人生、何が起こるか分からないと思ったのは33歳の時でした。私達夫婦は末っ子同士でしたので家の問題とは関係ないと認識していましたが、突然、私の広島の実家の病院継承を夫がするようになり、私は夫の実家の呉の眼科クリニックを続けなければいけない事態となりました。教授室での長い沈黙とため息からは、やっぱり女は当てにならないとの思いでおられる教授の気持ちが良く分かりました。次男が3歳の反抗期真っ盛りで、未亡人になっていたシッターさんには一緒に広島へ転居してもらい、生活は一変しました。突然の他県での開業は戸惑う事も多かったのですが、とにかく一生懸命診療をし、症例検討会や地方会等には出来るだけ演題を提出する努力をしました。これには月1回、小林教授が診療に来て下さり、1ヵ月間の疑問点や難しい症例の検討をして下さることが何より後押しになりました。

 そうしているうちに平成元年より広島県眼科医会の女性初めての常任理事、13年には広島では女性で初めての医会会長に、その後はこれも女性初めてと言われた県医師会の常任理事を8年続けました。当時、日本医師会女性医師支援センターの委員になり、全国のいろいろな人達と親しくなったのは今でも大きな財産と思えます。今日目標は2020.30ですが、当時は少し保守的であった広島県の中で他県大学出身者が女性初めてづくしの道を歩めたのは山口県の風土の中で医師として育てられたためとつくづく感謝しています。

 永い人生の間では予定通りにいかない何が起こるか分かりません。しかし、信じた仕事を続け、自立した人生は一生懸命の心が道を開かせてくれると思います。時代は刻々と変わっておりますが、まだまだ男女共同参画と言わなければならない時代です。女性であることがハンディとなる事があるかも知れません。しかし一生懸命の心を持っておれば道は開けると信じています。

プロフィール

現職
医)井之川眼科医院 理事長・院長
出身地
広島県
出身大学
山口大学
卒業年
1970年