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こんにちは!先輩

こんにちは!先輩

小野弘子先生
麻酔科医師

「こんにちは、後輩の皆様へ」

 あっ!という間に古稀になりました。山口大学医学部昭和46年卒業の小野弘子です。

 卒業と同時に山大の麻酔科に入局し、宇部興産中央病院、倉敷中央病院などの麻酔科を勤務しました。いったん山大へもどり、昭和58年37歳で山口県立中央病院(現在の山口県立総合医療センター、県総)に異動になりました。

 新病院開設で麻酔科が増員され、スタッフは8人でした。防府市の会合に出席すると「県中に麻酔科ができたんですね、何人ですか?」「8名です」「8人!もいて、何するんですか??」麻酔科医が珍しい時代でしたので、いきなり「8人」という数には、びっくりされることしばしばでした。

 新病院の麻酔科は、手術場の麻酔のほか、ペインクリニック、それに三次救急と、夜間は麻酔の待機番と集中治療室ICUの当直を担当していました。毎日のICU当直と麻酔待機の予定表を8人で組むのは大変でしたが、とても充実した職場でした。

 「同じ釜の飯を食う」つまり、苦楽を共にする麻酔科医の集団は、まさに知的集団で、楽しい会話に満ち溢れていました。"知的集団" なんとすばらしい響き!

 ただ年齢とともに夜間勤務が堪えるようになり、医療事故を起こしてはいけないという思いから、57歳で臨床を辞めました。がらりと転職して平成16年に厚生労働省の厚生労働医系技官(山口県)指導医療官となりました。希望した当直待機のない職場でした。臨床一筋だった私には、まったく訳のわからん行政職で、1からの出発でした。法学部の学生になったつもりで仕事を覚えました。療養担当規則のほか憲法や医師法なども読みました。指導監査という仕事で、医者仲間に嫌われました。同級生や先輩から辞めるようにと再々忠告されましたが、やり始めたからには5年はやってみようと決めました。5年すぎたころ厚労省の組織が変わったのを機会に辞めるふんぎりがついて、全くのフリーとなりました。(後日また保険指導医になって、たまに指導に出ます)

 それから新しい自分探しです。たまたま大学に行った時、麻酔科の片隅に過去の麻酔器や人工呼吸器がたくさん放置されているのを見て、こんなにあるのなら医療博物館ができると思いました。ただそれだけでしたが、京都造形芸術大学通信教育部サイバーキャンパスに学芸員コースがあるのを知りました。学芸員になれば、医療博物館創立になんか資格になるのではと思い、願書を取り寄せました。入学願書に添えるのに卒業大学の証明書と成績表が必要でした。それで山大医学部の学務係に「46卒の小野ですが、旧姓綱脇です、卒業証明と成績表がほしいのですが」と電話したら、「英語のですね」と言われました。「いや、日本語の、、、」。で、私の年に卒業証明書って言えば、留学かなんかなのだなーと自分の年を思い知らされました。書類を送り、面接と小論文で入学できました。今でも思うのですが、解剖とか、内科とかの成績証明だったと思いますが、あの成績表はなんの役に立ったのでしょうか?とにかく62歳で大学生になりました。サイバーキャンパスに向けて、パソコンを軽い携帯しやすいものに変え、環境を整えました。毎月のレポート提出にバタバタしました。市や県の図書館通いもしました。夏にはスクーリングも経験しました。20代の学友と1週間の泊まり込み、おばさん一人、少し(?かなり)浮いていましたが、仲間のおかげでなんとかクリアできました。でも、ひとつがどうしても不可、もう一年学生することになりました。2回不可になるとアウトなので、慎重になりました。

 そんなとき、古巣の県総から、出産後の女医さんのワークシェアリングに来てくれないかと依頼がありました。親しい後輩だったので、二つ返事で引き受けました(平成22年8月)。ところが、ひとつ引き受けると、次から次と仕事の依頼があって、「はい」「はい」と引き受けていたら、毎日日替わりで働くことになりました。そうこうするうちに芸大の取り残した課題「ワークショップ案」を完成できず、退学になりました。母校に「医療博物館を作ろう」という夢は出だしから消えました。もう7、8年前のことです。

 県総を退職する前から、「老後の過ごし方のため、50代後半の今、何かし始めてないと、ものにはならない」と、忙しいにもかかわらず、遊び仲間を作りました。そのせいで古稀になっても、暇することはなく 元気に遊んでいます。仕事も楽しんでやっています。古稀になっても仕事している自分を20歳代では想像できませんでした。60歳で退職してのんびりしている姿を想像していました。元気に古稀を迎え、楽しく働き、また遊んでいることに、ほんとに感謝の日々です。遊ぶのも体力がいるので、37歳から「週一時間の体育の時間」を作り、体を動かしていました。今はヨガしています。

 今、とりあえずの目標は75歳まで元気に働ける事です。皆様お世話になりますが、よろしくお願いします。

プロフィール

現職
麻酔科医師
出身地
福岡県門司市
出身大学
山口大学
卒業年
1971年