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こんにちは!先輩

こんにちは!先輩

大島眞理先生
医療法人 岩見内科医院院長

「到るところ、青山あり」

 幼い頃、活発に動き回ると「少しは女の子らしく、おとなしくしていなさい」と諭されていました。時代は今、「女性ももっと社会に出てしっかり活動する場を作ろう」とめまぐるしく変わり、そんな中を無頓着に変わらず生きている自分が皆様に参考になるとも思いませんが、十人十色の人生の一例、お耳汚しを語らせていただきます。

求めよ さらば与えられん
 突然ですが、若い皆さま方は30年後の自分の姿、どこでどのような生き方をしているか、想像したことがありますか?

 私は現在50台後半、岩国市で内科開業医として働いています。大学卒後間もない頃の私が目指していた将来とは異なりましたが、数度の人生の選択の中、置かれた環境を悔やまず、楽しく生きる道は必ずどこにでもあったと振り返っています。

 同じ医師である夫と結婚直後から、夫の職場が変わるたびに自分も次の選択を考えることを繰り返してきました、というのも夫の異動が東京、米国、愛知県、再び東京と、なかなかの距離感で動くからでした。「おや?山口県は?」の疑問には後でお答えするとして、「結婚・夫の異動で仕事を辞める」は今も昔も周囲には多大な迷惑をかけ大いに嫌がられるものです。夫の留学で後ろめたく離職時、男性上司が餞別で下さった医学書の裏表紙に「悪妻、名医、賢母たれ!」とメッセージが書かれてあるのを見つけ、「結婚も去るのもかまわん、でもどこに行っても医学は続けろ!」と言われた気がしました。渡米後、現地で無職の私は何件もの研究室の門を厚顔無恥にも叩き、何とか仕事を確保。7年に渡る在米で子供も生まれ、仕事も順調、もはやここが終の棲家かと思いきや、夫が愛知県の大学に呼ばれ帰国、またしてもアメリカで私を拾い育ててくれたボスに謝りたおし離職。折しも実家の父の体調が気になり、少しの間父の営む診療所を手伝おうと夫は単身赴任で、私は山口県に戻ってまいりました。研究主体で臨床をしばらく離れていたため、ここでも総合病院や近所の消化器専門医開業医に「おしかけ研修」生活、多くの先生方にとても親切に指導していただいたことを今でも感謝しています。仕事は「求めよ、さらば与えられん」。

22年の遠距離結婚生活
 父は私が帰省3年後に他界、父の医院を継承するか、閉院して夫のもとに行くか人生数度目の選択のとき、地元に残り総合診療医として生きることを選択しました。

 患者さんがまず扉を叩く開業医、その中から重大な疾病を見つけ出し大病院へ橋渡しをすること、慢性疾患の管理や予防医学、そうした地道な医療を続けることで、私が今まで職場を転々としたときにも理解して送り出して下さった周りの先生方やスタッフの方々への恩返しと思っています。いつの間にか夫は東京へ転勤となり、現在、国立病院機構 東京医療センター院長を拝命、ようやく夫婦ともに腰が少し落ち着いたかなと思い、振り返れば22年間も遠距離結婚状態でした、ただ夫との電話は1日たりとも欠かしたことがありません。単身赴任の苦労をかけましたが、お互いの生き方を尊重しあえたのではなかったかと思っています。息子もいつの間にか育ち、今は医師になり新米修行中です。

人間到処有青山(じんかん、いたるところ、せいざんあり)
 山口県ゆかりの僧「月性」の漢詩の一節、青山は「墓所」の意で、諸説ありますが私は「人間、どこにでも自分の力を発揮する働き場所は必ずある」という解釈が好きです。

 「好きだから続けられた」は今までこのコーナーに執筆された多くの先輩方と共通するところですが、続けられたことに、見えない理解と助けがあったから出来たことと感謝しています。男女共同参画では、離職後再研修制度や保育サポーターなど、さまざまな支援策が立てられていますが、そんな時代の前から、必ずどこかに仕事をしたい気持ちを支えてくれる人は必ずいました。医学の道を歩むなら頑張れよと、自然とそうした姿勢で接して下さる方々に、皆さんもどこに行ってもきっと巡り合えると信じています。

プロフィール

現職
医療法人 岩見内科医院院長・理事長、
岩国市医師会 副会長、
KRYラジオ 「医療・介護の現場から」内科担当
出身地
山口県岩国市
出身大学
東邦大学
卒業年
1984年