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こんにちは!先輩

こんにちは!先輩

河村裕子先生
周南記念病院副院長

「こんにちは、後輩諸君!」

 みなさんに質問です☝ 生まれ変わって新たに仕事に就くとしたらどうします?人生のリセットですよ!さあ、さあどうします?
と、いうところで私は?何になりたいかな?

 小さい頃、何になりたかったか?喫茶店を開く店主、スッチー、これは容姿端麗ということで早々に断念、飛行機の操縦士、などなどです。あれれ、お医者さんなんてありませんね。何だか、その頃ののりで・・現在に至っていますが・・というわけで、小さいころからの志はあまりはっきりしません。

 しかし、今想うにまたゼロからのスタートができるなら、私はお医者さんになりたいのです。何故なんでしょう?わかりません、不器用な私には色々な事が考えられないから?わかりません、だけども、何でもそうですが仕事っていうものは奥が深いのです。よって、私は医師になりたいのです。まだ、やり残していることが沢山あるのです。

Ⅰ. 学生編:学生から始めましょう。振り返ればどれだけさぼったか・・想像を絶するもので兎に角バスケットボールづけでした。
その後どれだけ苦労したか?よって、真面目な学生になって毎日授業に出席しノートをとって基礎を積んで実戦に臨みたい。もちろんバスケットボールもしますよ!

Ⅱ. 研修医編:さあ研修医になりました。何を選びましょう、私達の時代は、ある科に入局しオーベンと呼ばれる指導医のもと経験を積みました。いろいろなシステムがあったわけではない、オーベンの後ろを追いかけ、知識、経験を盗むのです。今のしっかりした指導システムとは程遠いですが、そこには自分で見つける大変さととてつもない楽しみがありました。しかし、リセット研修医は、前期や後期研修を項目、目標を決めてキッチリとこなしていきたいと考えています。

Ⅲ. 助手編:その後の助手時代でよかったことは、研究や論文、学会発表は、結構させていただきました。臨床と研究が同時進行は、なかなか忙しかったのですが、大学院生でもないのに数年で学位をゲットさせてもらいました。それはそれで、夜中の研究室や孫引き、孫々引きで苦労した文献探し、英文タイプ(これはタイプライターで自作)や和文タイプ(英文スライドは時代遅れと言われ、和文タイプはタイプ屋さんに依頼する)で作るスライドなど大変でした。苦労のあげく完成したスライドを持っての予演会、教授の一言ですべてはまたスタートへ戻りリスタートでした。実は、この臨床と研究の日々は好きでした。次に指導医となったわけですが、これは最低でした。結局自分が受けたように、研修医に接したのです。もっと指導に関して、自覚を持ってしっかり目標を定めたシステムだったことをすべきでした。

Ⅳ. 開業医編:大学を去ってから、開業医として自分の目指す在宅医療を開始しましたが、それほど需要があるわけでもなく、断念!

Ⅴ. 勤務医編:それまで出身大学の病院に勤めたために、のほほ~んとぬるま湯であったことを実感しました。みなさん☝ 兎に角、ドンドン外に出て色々な方々、Drに会いましょう。いろいろな考え方、やり方を学びましょう。その中から自分なりのものができるとおもわれます。第二の勤務医では、本当にいろいろな経験をさせていただきました。しかし、それにつけても基礎力、しっかりした知識があれば・・・と思うわけです。現在は一般病院であるため、他科との壁があまりなく、各科の協力や各科の考え方など得ることができるので大変勉強になります。

Ⅵ. 妻、母親編:(これは医師とは関係ないかもしれませんが、医者生活では大きな問題点です)これは残念ながら、大失敗です。家族には、謝ることばかりです。これもリセットがあれば、もう少し役目をしたいものです。
と、言うことで現在最終トラックに入りラストランになっている私ですが、まだまだ未熟、実に時間があれば、まだまだ学びたく中途なのです。医者になって40年、やり直せたらなあ~と思うのです。基礎力、知識をもって、臨床、研究にあたり、スマートにこなして、もっともっと質の高いことをして納得のいく日々を過ごしたいのです。

 後輩諸君、折角医師になったのです。医師って楽しいですよ。苦しいのは、まだまだ楽しいことがある前の序章なのです。忙しい中に、宝物が隠れています!楽しみを見つけてください。つまらないなら、どんな仕事についても、辞めてもつまらないと思います。

 みなさんは、もう見つけましたか?わたしも、まだ見つけられるかもしれません。さあ、宝探しへ Let’s go !!

プロフィール

現職
周南記念病院副院長
出身地
東京都国立市
出身大学
東邦大学
卒業年
1978年