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こんにちは!先輩

こんにちは!先輩

吉田奈緒美先生
静岡県立こども病院 こころの診療科

「生きる喜びを手に入れる人生」

 山口県を離れ、単身赴任生活が始まったばかりのこの春。山口県で私を待っていてくれる家族は「今は専業主夫・かつては会社員」の夫と子ども2人、の計3人。医師としての経験は今年度で14年目になりますが、現在の身分は「レジデント」。子どもの精神科をより専門的に学び始めたばかりです。私がどうやって「この場所」まで辿り着いたのかを紹介することによって「こんな人生もあるのか」と後輩の皆さんの参考になれば。

 高校生の頃。自己評価が低く、生きていて良いのか自信の持てなかった私は「人からの感謝をダイレクトに強烈に受け取れる仕事がしたい」という考えから、へき地医療に携われる自治医科大学を進学先として選びました。しかし、病棟実習が始まった頃には「医師は命を救ったり苦痛を和らげたりできないんだ」と感じて落胆し、先に進むことができなくなってしまいました。医学部を一時的に離れて過ごす間に「年をとっても経済的に確実に自立していられるためには資格が必要だ」と考えるようになり、消極的な動機で医学部に戻りました。長い間、結婚しないと思い続けていたのに、大学6年生秋の出逢いに価値観を変えられ、大学卒業直後に入籍。医師として勤務し始めてからは「とりあえず目の前にある仕事をこなす」ことで精一杯。今思えば「自分の仕事」はできていなかったかもしれません。

 医師1年目でスーパーローテート中に第1子を出産。当時は外来を持っていないだけでなく、義務の当直もなく、病棟は指導医との2人主治医だったため、仕事のやりくりの心理的負担は、ほかの時期の出産に比べると結果的により軽かったかもしれません。

 育休はとらず、産休のみで仕事に復帰し、医師3年目からいよいよへき地医療機関での勤務を開始。幼い我が子と生活するには、へき地の診療所の仕事は望ましい環境でした。定時に始まり定時に終わる、昼休みは診療所裏の医師住宅に戻って子どもと一緒に食事できる、というのは、今思えば贅沢な時間でした。診療所勤務にも慣れてきた頃、2歳になってもなかなか言葉がでない長男が「自閉症」と診断されたことがきっかけで、元々興味のあった「子どものこころの専門家」を目指そう、と決心。長男を診断してくれた小児科医に相談し、最初の研修先を紹介していただきました。へき地医療を実践しながら週1回、様々な施設で小児科の先生方に学び、数年をかけて山口県内のそれぞれの地域の様子を知ることができ、結果として将来の目標に結びつく有意義な経験となりました。

 診療所勤務期間中に第2子の妊娠が判明。複数の関連医療機関から応援いただき、医師5年目の診療所で産休に入りました。産休明けには関連病院への転勤が決まっており、患者さん方に別れを告げる時「先生のファンでした」「赤ちゃんの顔見たいなぁ」との言葉をいただいて初めて「私はここにいること(=生きること)を許されたのかもしれない」「自分の仕事ができたかもしれない」と思えたかもしれません。

 へき地勤務の義務が終わる医師10年目。いよいよ自分が主体性を持って仕事を選んでいく契機が来た期待感と共に、これまで指導医や患者さんから学ばせていただいたこととは大幅に異なる内容の医療を行っていく申し訳なさと不安がこみ上げました。そこに「へき地医療支援をしながら自らのキャリアアップもできる」システムが山口県立総合医療センターを拠点の1つとして立ち上がると聞き「これなら、これまでの経験も活かしながら自分の夢も叶えられる」と、そのシステムに乗りました。夜間や休日のへき地の一次救急診療を応援しながら、まずは一般の精神科医としての経験を積みました。より専門性を高めるため児童精神科の病棟がある施設で学びたいと上司に相談し、現在の勤務先を紹介されました。静岡県で研鑽を積んでから山口県に戻り、山口県の子ども達のための仕事をしたい、というのが今の私の夢です。自閉症の長男は環境変化に強くないので、できるだけ同じ場所にいられるように、と、私以外の家族はそのまま山口県に留まり、私が単身赴任することとなりました。

 非力ながら、これまで「後悔しないように・精一杯真面目に」目の前の仕事に集中してきたつもりです。そんな日々の中で、患者さんや患者さんの家族、そして一緒に働くスタッフと喜びや辛さ、楽しさや悔しさ、様々な体験や感情を共有し、自分の役割を誠実に果たしながら「周りの人と一緒に生きて行く」ことで、自分の中に充実感が積み重なってきたように感じています。別に「医師1人で」劇的に魔法のように世界を変えられるわけではない。そんな当たり前のことに、かつての私は気がつかないまま、悩んでいたようです。

 これまで貴重な体験を与えて下さった方々に今以上の直接の恩返しは難しいかもしれませんが、私が充実した日々を送り、あれだけ辛かった「生きること」が、医師という仕事によって「生きる喜び」に変わった事実を後輩に伝えることによって、若い人が今を踏ん張れて、未来に希望を持って進んでいける応援が僅かでもできるのではないか、そうすることによって私が受けてきたご恩を間接的にでも社会に返すことができるのではないか、と祈るように考えながら、この原稿を書かせていただきました。

プロフィール

現職
静岡県立こども病院 こころの診療科
出身地
山口県
出身大学
自治医科大学
卒業年
2003年