Medical Student

= わたしは医学生 =

Interview

秦田登萌さん 山口大学 医学部医学科 6年

Interview

秦田登萌さん 山口大学 医学部医学科 6年

お棺に入れたラブレター

お棺に入れたラブレター

(これはお棺に入れたラブレターを改編したものです。)

おじいちゃんへ。 2024年1月15日

生前より、亡くなったら山口大学のために献体したいと話してくれていました。最後の最後まで、かっこいい意思を貫いてくれてありがとう。

少し書類の都合で献体は叶いませんでしたが、

あなたの死から私が多くを学ぶことが、せめてもの弔いになればと思っています。

孫が大学生になって東京から湯田へ引っ越してきたことがうれしくて、よく近所のアルクに連れて行ってくれました。私のことを指さし、「この子は医大生よ。」と、レジのお兄さんお姉さんに声をかけまくっていたおじいちゃん。大学受験で第1志望ではなかった山口大学のことが、私は入学当初好きになれなくて少し落ち込んでいたけれども、会う人会う人に自慢してくれたので、小っ恥ずかしい中にも、実はこれだけ誇らしいことなのだなと、じいちゃん孝行できているのなら、それも悪くないなと思わせてくれました。

夏に山へ出かける時には、蚊が嫌いな私に、虫除けスプレーをこれでもかと大量にかけてくれたおじいちゃん。「悪い虫がつきませんように。悪い男に捕まりませんように。」そのおまじないのような言葉がくすぐったくて、懐かしいです。

どれほど私たち孫や子を心配し、守ろうとしてくれていたか。家族と過ごせる時間というのは、そう多くありませんね。
亡くなる3週間ほど前に会いに行った時は、あと何十年生きるか、と思うくらい元気でした。じいちゃんの焼き芋、最高に美味しかったですよ。

いつしか、医師になってあなたを看取りたいというのが、私の密かな目標になっていましたが、ほんの少しだけ、お迎えが早かったですね。

訃報を聞いた時、一番に出てきたのは「会っといてよかった、会えてよかった」でした。満足する最期は、こうやって作ればいいんだよと、お手本を教わった気がします。

いまは国試前ですから、通夜の日でさえ国試直前対策の講義動画を見ることを優先してしまいました。ちょうど動画の名前が「ラストメッセージ」というので、あなたに背中を押されたように思いました。
1度きりしかないあなたの出発、十分に哀しみに浸る前に心を立て直すことを優先しなければいけないことは、残念ですが、頑張ってきますね。

あなたのいちばんかっこいい所は、82歳にして、大学生として勉強を続けていたことです。82歳の大学生なんてほかに聞いたことがないので、あなたのとってもユニークなところだと思います。私より先に大学を卒業することを目標に、単位を一生懸命とっていましたね。
「卒業するのに必要なのは128単位よ。いまどれだけとったかは聞くなよ。」
体力や記憶力が衰えて、そう簡単に勉強が進まなかったこと、葛藤もあったのかもしれませんが、教科書を広げてコタツでいつのまにか寝落ちしているあなたの背中から学ぶものは大きかったです。老いてなお、まだまだ青年のように野心をもって勉強を楽しんでいました。お金が無くても若さがなくてもこれだけ純粋に学ぶ喜びを噛みしめていたこと、尊敬します。私はあなたより先に卒業してしまいますが、私はあなたより随分と怠惰だと思いますよ。

それから、あなたの死をもって、私は悩みをひとつ解決できました。
医師になる過程で、私は私の心がどんどん冷徹になってしまっているのでは無いかと、ひどく恐れていました。人を看取ることが仕事のひとつになれば、人が亡くなっても悲しくなくなるのではないだろうか。人を「人体の構造」、また心を「脳の機能」として見るようになってしまったら、もし患者さんが悲しんでいても、共感出来なくなってしまうのだろうか。
それが怖くて、4年生のときも6年生のときも、OSCEが本当にとてもイヤでした。型通りの診察、型通りの問診、何度も何度も繰り返しながら、私は自分が、機械になるように感じました。

今回、あなたの死斑を見て、軸椎(喉仏)を見て、死体検案書を見て、確かに実習を思い出しました。あなたの骨は美しく、教科書どおりでした。
でもね、やっぱりきちんと悲しいです。お骨は教科書どおりではあったけれども、やっぱりあなたの指、ひじ、おでこ。ちゃんと面影がありました。おかしいかもしれないけれど、きちんと悲しかったこと自体が、すごくほっとして嬉しかったのですよ。
医学を学ぶ喜びと心のあたたかさ、その両立は、今のところはまだ出来るものだと気づかせてくれました。
それは実際、あなたが生涯をかけて学びを忘れず、あたたかさを忘れなかったこと、私たちに授けてくれたもの、あなたの姿勢そのものだったかも知れません。

寂しくなりますね。

追記:2024年3月15日 国家試験合格しました。ほんとは電話で伝えたかったです、応援ありがとう。