Medical Student

= わたしは医学生 =

Interview

杉山 舞さん 山口大学 医学部医学科2年

Interview

杉山 舞さん 山口大学 医学部医学科2年

皆さんの理想の医師像は誰ですか?

皆さんの理想の医師像は誰ですか?

 突然ですが、みなさんは入学当初どのような理由で医学部に入りたいと思いましたか。自分自身が医師に助けてもらったから、身近な人がある病気を患い助けたいと思ったからというような事を面接で言った方が多いのではないでしょうか。私も皆さんと同じく医師を目指す理由のうちの一つは自分自身が仮死状態で生まれてきたことでした。8分間の呼吸停止状態から産婦人科の先生方が自分を助けてくれたことを両親から聞き、幼いころから医療分野に興味を持ちました。私は漫画ブラックジャックが大好きで、彼のように患者さんから求められる外科医になると意気込んでいましたが、いつからかダウン症などの先天性疾患に興味を持ち、染色体異常を得意とする別の大学に入学しました。分子生物学や生化学をはじめ、染色体医工学などを授業や実習で学ぶうちに様々な疾患の徴候や治療法、特に自分の知識が生かせそうな遺伝子治療や先天性疾患を扱う周産期医療分野を深く追究したいと思い始め、医学科に編入することを決めたのでした。

 私が山口大学医学部に入学し半年以上が過ぎた今思うことは、自分が学びたいと思ったことに対し情熱をもってとことん教えてくださる先生ばかりだということです。産婦人科医を目指している私は、産婦人科と救命救急の医局に時々お邪魔させていただいています。その理由としては今現在習っている基礎医学がどのように臨床につながっているのかを低学年のうちから自分の肌で感じたいという衝動に駆られたからです。2年生はテストに追われ正常構造がメインなこともあってかモチベーションを保ち続けるのも厳しいです。その中で自分自身、毎週のテストをこなすための勉強しかできないこと、テストが過ぎればアウトプットの場が無く、せっかく覚えた知識も徐々に消え去っていくことに不安を感じていました。まだ医学知識も浅はかである2年生から臨床現場の見学や大学院生の研究発表会への参加は無謀ではないかと考えている方もおられると思います。しかしながら、山口大学の先生方や院生の皆さんは2年前期で履修した解剖学や生理学などの基礎医学のレベルまで話を落としていただき、院生さんの発表を聞いたり、口頭試問を受けたりする内に自分が得た知識が将来患者さんの状態を予測・理解し、治療法を決定する段階で非常に重要な足掛かりになることをひしひしと感じました。またそれと同時に、自分が医師として現場で働くイメージがしやすくなりました。

 夏休みには、女子医学生のインターンシップ活動を利用して済生会下関総合病院で不妊治療外来や婦人科オペに参加させていただきました。帝王切開術を見たときは、母体から赤ちゃんが取り上げられる瞬間にご夫婦がすごく喜んでいる姿、可愛いと赤ちゃんを愛くるしくなでるお母さんの姿がすごく印象に残っています。一方、不妊外来では妊娠を望む夫婦が体外受精の結果を聞く度に落ち込む姿を一日に何度も見ました。赤ちゃんが欲しいという強い想いと毎日のようにホルモン注射を打つという努力が報われなかったことによる落ち込みは相当なものであると簡単に想像できましたし、自分が主治医である場合、どのように声をかけたら良いのか非常に悩みました。この2日間の見学で得たものは臨床現場を知るということだけでなく、先輩医師や世の女性がどのようなライフプランを考え、生活を送っているのかを知るという面もありました。

 6年間という他学部よりも長い学生生活に加え、自分自身が学士編入生で同期の一般生よりも年上であることもあり、学士編入試験に合格した時から人よりも自分のライフプランについてよく考えます。いつ始まってもおかしくないお産を扱う産婦人科は非常に忙しく、不規則な生活になることは容易に想像がつき、子育てをしたければ理解のある旦那さんを得るか、科を変えるべきなのかと考えていた時期もありました。子育てだけでなく、結婚や出産のタイミング、それを踏まえたうえで初期研修・後期研修の場所もしくは大学院進学など様々なことを考えますが、女性医師や女性研修医に聞いても、その答えはまちまちできっと正解はないと思います。なぜなら、単に女性医師というひとくくりにすることはできず、自分の体力、自分の周りの協力の度合いなど様々な因子で両立の大変さが変わってくるからです。この2日間、オペ間の休憩時や外来の合間に先生とお話をする機会が多かったのですが、子どもを育てながら業務をこなす姿をたくさん見て、自分の医師としての希望やキャリアアップと、妊娠・出産・子育てのどちらも諦めることなく、決して無謀なことではないのだと少し自信を持ちました。

 最後になりますが、私には最小でもあと5年間の大学生活があります。今は産婦人科、特に生殖補助技術や不妊治療、遺伝子疾患に関するスペシャリスト、言うなればコードブルーの緋山先生のようになりたいと思っていますが、これも臨床医学を学び、ポリクリやクリクラを経て変わっていくかもしれません。

 きっと5年間の大学生活で、物事に対する自分の考え方も変わるでしょう。医療知識を得るうちに、疾患に関する重症度の感覚が一般とは異なり、患者さんの不安に寄り添えなくなってしまうことが一番怖いです。どの科を進むにしろ、患者さんを救いたい、患者さんにもとめられる医師でありたいという気持ちは共通のはずです。医学生・医師としてだけでなく、一人の人間としてもこの5年間で成長し、患者さんの不安を汲み取れる人でありたいと思っています。