Interview
Interview
医学生という視点
医学生という視点
皆様はじめまして。私は山口大学医学部医学科2年の飯田美里と申します。
所属部活動はフットサル部です。よく「マネージャーですか?」と聞かれますが、女子でもチームを作り、年2回の大会に向けて日々練習に励んでいます。
さて、「わたしは医学生」を執筆する前に偶然ある本に出会いました。本を読んだ後、目標とする医師像について深く考えさせられました。今回はその経験について紹介したいと思います。
私が今夏出会った本は日野原重明先生の「今日すべきことを精一杯!」(岩波現代文庫)という著書です。日野原先生は100歳を過ぎても現役医師として活躍された先生で、私も以前名前を聞いたことがあります。先生の出生地が山口県萩市ということもありよくご存じの方も多いかも知れません。この本の執筆年は1990年と古いですが、現在でも通じる部分があり、特に医学生は考えさせられる部分が多いです。その本の中にあった文章が以下の通りです。
「医学はサイエンスにもとづいたアートである。アートを忘れてサイエンスに振り回されてしまうと、病む臓器ばかり見て、病む人間そのものに目がいかなくなってしまう。病んでいるのは人間なのだから、その人間を癒すということを考えなくてはならない。」
この文章の意味は、解剖実習を終えた今だからこそ理解し得るのかなと思いました。解剖実習はご献体へ感謝することを大前提として行われますが、実習の忙しさ故に人間の器官や構造、すなわち「サイエンス」の部分に目が行きがちになっていました。夏季休暇に入る直前、7月下旬に実習がすべて終了しご遺族に代わって学生で火葬を行いました。火葬場に到着するまでは同級生とたわいもない会話ばかりしていましたが、実際火葬炉の前に立った時、これまで解剖していたご遺体の生前の氏名が書いてある紙を目にしました。この紙を見た時に、ご遺体の生前について考え始めました。「どのような思いで篤志献体になられたのだろう…」「ご遺族は反対しなかったのだろうか…」「生前はどのような生活を送っていたのだろう…」。火葬は1時間足らずで終わりましたが、始終私はずっとご遺体の生前について考えていました。逆に約4か月にも及ぶ長い実習の中で、最後の最後まであまりこのように考えなかった自分にも驚きました。解剖実習を通して「サイエンスに振り回された」という経験があるからこそ日野原先生の言葉は心に深く突き刺さりました。
私は山口県出身でもなければ、どこかの病院を継がなければといった義務もありません。将来に関して多くの選択肢を与えてくれた両親には感謝していますが、まだまだ自分の将来については悩みどころが多くあります。それでも目標とする医師像については考えが固まってきた様に感じます。それは患者が発する様々なサインを見つけ出す医師になることです。痛みなどの症状、外傷などは大きなサインであり比較的気が付きやすいですが、患者が口にしていない考えやその患者の生活的事情といった小さなサインにも配慮できるような医師になりたいと考えています。
そのような医師こそが「アート」の心を忘れない医師であり、患者が本当に必要とする医師です。
患者からすれば、言わばあかの他人といっても過言ではない存在である医師や看護師に自分の命を預ける事になります。だからこそ一層、場所を問わずに患者からの信頼が重要であると言われ続けるのだと思います。
医学生とは言っても基礎を学び始めた段階であり、一人前の医師として病棟や手術の現場で働くにはまだまだ未熟な存在です。裏を返せばこの「医学生」という時期はごく限られたものです。将来出会う患者のため、自分を支援してくれる人のためにもこの二度と経験することのない医学生を十分実りあるものにしたいと考えています。