Interview
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終末期定点観測記
終末期定点観測記
はじめまして。山口大学医学部医学科一年の秦田登萌と申します。
突然ですが、皆さんは「終末期」について、どのようなイメージをお持ちですか?
私にとって、死は遠い未来のものでしかなかったので、いままで想像さえついていませんでした。しかしこの夏休み、終末期とはこういうものなのかと、祖父が亡くなる過程を通して初めて実感しました。今回は、祖父の終末期に気づいた3つのことについて、お話ししたいと思います。
まずひとつめに、家族は喪失に対する大きな不安につつまれるということ。
祖父が亡くなる40日前、私は祖父がいる病院に、何度目かのお見舞いに行きました。その頃、祖母は家に帰らず毎日つきっきりで祖父のそばにいて、病室の椅子で寝泊まりしていました。私は祖母のことを、そんなにそばにいなくても、帰ったらいいのにと不思議に思っていました。
病室を訪れ、祖父と手をつないで、少し話をし、夕方に帰るというのがお決まりだったので、私はその日もそのつもりで病室を訪れました。しかし、夕方になると突然祖母から、明日までいてほしいとお願いされました。祖母にそんなことを言われたのは初めてで、とても帰ることができませんでした。その日は病室の固い床で横になることにしました。それから毎日、夕方になると、明日までいてほしいとお願いされ、気づけば病室の床で7日間、じっと祖父のことを見つめていました。
聞けば祖母は、自分が目を離した隙に亡くなってしまうのではないかという思いでいっぱいになり、病室にいても気が休まらないし、家にいると何にも手がつかないのだそうです。祖母は家に帰らないのではなく、不安で帰れないのでした。私たちは、人はいつか必ず死ぬものと頭では理解できます。しかし、いざ愛する人を失うのではないかという状況におかれると、いてもたってもいられなくなってしまうのです。
次に、家族は変化に対する圧倒的な恐怖につつまれるということ。
亡くなる39日前、午前1時、横になってから数時間後のことでした。祖父の大きな叫び声がして、それに驚いて私は目を覚ましました。痰もからみ、とても苦しそうな声でした。そして、暗闇の中、数分に1回叫ばれる声を聞きながら、恐怖でいっぱいになっていました。私が知っている穏やかな祖父とは変わってしまったのだということを突きつけられ、それから一睡もできず、夜が永遠に続くように感じられました。
最後に、死とまっすぐ向き合うとき、家族は無力だということ。
医学生とは言え、まだ一年生の夏休み、共通教育の授業しか受けていません。医療行為はもちろんできませんし、医学の知識も足りず、祖母に状況を説明してあげることもできませんでした。私にできたのは、点滴が一滴一滴落ちて空になり、痰がたまってガラガラという音が聞こえるようになるのをひたすら待ちながら、祖母の話を聞くことだけでした。じわりじわりと動かなくなっていく祖父をみながら、何もしてあげられないのだと強く思いました。
亡くなる19日前、祖父の86歳の誕生日でした。会えるのは最後かもしれないとなんとなく感じ、再び病院に行きました。その日、祖父は目を開けず、手をつないでも握り返してくれませんでした。
これから、私の中で「終末期」のイメージがどんどん変わっていくのだろうと思います。二年生になって本格的に医学を勉強するようになれば、弱っていくことや死を科学的な見方から捉えられるようになるのかもしれません。医師になれば、人が亡くなることにこんなにも動揺しなくなるのかもしれません。それでも、患者が弱り、亡くなっていくとき、患者の家族は大きな不安や圧倒的な恐怖感に包まれているのかもしれないということを、医師になってからも忘れないようにしたいです。
医学を勉強する前の自分として、「終末期」を実感した最初で最後の経験でした。正直とてもつらかったけれど、祖母のつらさを共有できたこと、そして最後まで祖父と一緒にいられたことに感謝しています。