Interview
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医学生になるということ
医学生になるということ
初めまして。今回このような機会をいただき、特にドラマチックな人生を送ってきたわけではありませんが、普通の医学生として思うことなど伝えられたらと思い、今回筆を執りました。
将来の夢の項目を「医師」で埋めた最古の記憶は小学校中学年の頃のものです。といっても同級生から回ってきたプロフィール帳の一角、パステルカラーのふわふわに囲まれた枠の中にポツンと書かれた「将来の夢は?」に何となく「お医者さん」と香り付きのペンで書いてみたというただそれだけのものでした。その理由も父も医師だしドラマとかでもカッコいいし、といったそれだけのものでした。芸能人といった非現実的な答えや、幸せなお嫁さんといったなかなか個性的な答えを書く人もいる中で、私の答えはまあつまらなかったのでしょう。いいんじゃない、似合うよ、と汎用的な感想が返ってきました。しかし当時の私は真に受けてしまい、それからというもの夢を聞かれたら「お医者さん」と答えるようになりました。幼い子供でさえ建前というものを知っているのです、況や大人が知らないはずはありません。こうして将来の夢について話す度、自分が医師になる素質があるのかどうかも分からないままで、「医師になる」という将来の姿しか見えなくなっていきました。
その後小学校の卒業文集で将来の夢について書くことになり、外面だけは滅法に良いそのふわふわとした夢に向き合うことになりました。「私の将来の夢は医師になることです」と書き出した途端、言いようもない恐怖に襲われたのを今でも覚えています。ボールペンのインクが作文用紙に染みていくのを見ながら、私はもう取り返しのつかないところまで来てしまったのではないかと不安を感じていました。
ちょうどその頃、父が私と弟にある提案をしてきました。それは手作りの小物を作って入院患者さんに配り、一緒にお話ししてみないかというものでした。二つ返事でやると返し、いざ病院に向かってみると、入院していた患者さんたちは快く私たちのことを迎えてくれました。拙い贈り物を手に取って、ありがとうと笑ってくださったあの顔のことを約十年経った今でも忘れることができません。そしてその瞬間に、もっと多くのものを誰かに渡せる人になりたい、と医師になる決意が固まったような気がします。素質が無いのなら幾らでも時間をかけて食らいついてやる、そのような気合いに満ちていました。
幸運なことにも山口大学に入学することができ、医学生を名乗って無事数年が経ちました。今はだいぶ落ち着いているのですが、本当に忙しい時は受験生の時と同じくらい、下手したらそれ以上に勉強に追われているという感覚がありました。私は暗記科目と呼ばれるものがとても苦手で、新しい単語が次から次へと湧いて出てくる医学科での勉強は本当に辛く、もう全部放り出してしまいたいと思うような日もありましたが、あの日のことを思い出して何とか苦痛を誤魔化してきました。講義中の先生の話を聞く中でも、これをどんな形で試験に出してくる気なんだと構える横で、「こういう医者になりたいな」と思う将来の目標の解像度が上がってきたような気もします。終わったからなんとでも言えるという指摘はごもっともなのですが、医学での日々はとても楽しいものだと思っています。
今どのような方がこれを見ているのか分からないので何を伝えるべきか決めあぐねたままここまで来てしまいました、向こう見ずなのはそう簡単に変わらないようです。何かアドバイスできるような大それた人間でもないので、これからも細々と勉強を頑張っていきたいという決意を記して終わりにしたいと思います、ここまで読んでいただきありがとうございました。